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❝SDGsにときめく-北九州市における公害克服の経験と市民力-❞ 北橋健治さん(北九州市長)





❝どのくらいの日本国民がSDGsという言葉にときめきを感じているか❞

はじめに、今回参加されたハイレベル政治フォーラムの印象はいかがでしたか?

北橋さん:まず、世界中から多くの参加者が集い、持続可能な開発目標(以下、SDGs)について熱心に議論している姿に感動しました。日本では、どのくらいの国民がSDGsという言葉にときめきを感じているか、気持ちが動いているかと考えると、我々が頑張っていかなければと感じています。もちろん、我々北九州市は、そういった思いを抱いて今回のハイレベル政治フォーラム(以下、HLPF)に参加しましたが、やはり母語も異なる多くの参加者が、ひとつのテーマについて懸命に論じている姿を見て、私は非常に感動しました。同時に、アジアからは政府や研究機関の出席があまりなかった点を寂しく感じ、日本がアジアをリードしていかなければとも感じています。

❝2030年に向かってバトンを託していく、それがSDGs❞

SDGsにときめかれたというお言葉がございましたが、市長自身もSDGsにときめきを感じていますか?

北橋さん:日本にいても国連に関するニュースは報道されていますが、それぞれの国の代表同士が揉めているような様子が報道されることが非常に多い印象です。私はそういったニュースを見る度に、世界の将来はどうなるんだろうと心配する機会が多くあります。

ところが、SDGsの場合は、SDGsという共通の目標に向けて頑張ろうという合意が193ある加盟国の全会一致で採択されており、そのことだけでも凄いことだと私は思います。戦後の歴史においても、これからの未来を考えていくという、ここまで明るくて元気づけられる目標というのは今まであったでしょうか。しかも、SDGsは達成期限が2030年なので、若い世代に託していかなければならない。「待てば海路の日和あり」と言いますが、自分も還暦を過ぎて、本当に明るい良いテーマに出会えたと感じています。つまり、自分の子どもの世代、ミレニアル世代、そういった次世代を担う人たちに対して、自分達の世代が取り組んだものを2030年に向かって、バトンを託せるテーマであるというところに“ときめき”を覚えます。また、世の中には、「何をやってもなかなか上手くいかない」ということが多くあります。たとえ、ひとつの国ではもう前に進めないという状況になったとしても、そこで立ち止まらずに、世界が協力して前に進んで行くという合意がなされたということに、感動と”ときめき”を覚えます。

国際協力に取り組んでいる自治体だからこそ、そうした広い視野で捉えておられるのではないかと感じます。それでは、実際に市長がときめかれて「さあSDGsやるぞ!」と打ち出した際の周囲の反応はいかがでしたか?

北橋さん:環境をはじめとした国連で議論されるテーマについて、大事に考えて活動している特定非営利活動法人(以下、NPO)や、大学・研究所のような学術機関の方々からすると「ようやくここの市長も分かったか」、「もう少し早く気づいてよ、これは3年前の合意だよ」と捉えておられるのではないかと感じます。しかし、やはり一般市民の中では、アルファベットで表記されるような外来語であるSDGsを耳慣れないという方も多くいらっしゃいます。

北九州市は、ESD(持続可能な開発のための教育)に対して、約10年にわたり女性団体を中心に一生懸命取り組んでいますので、「SDGsのSDは、ESDのSDですよと」申し上げると「そういうことか」と理解してくださる人が多い印象です。それでも、SDGsについて、一般的にはまだまだ馴染が薄く、その知名度の向上は、本市の今後に向けた課題だと思います。

ESDが浸透しているという素地は、非常に珍しく、貴重であると思います。

北橋さん:北九州の歴史を振り返ってみると、公害という課題に対して、真っ先に勇気ある声を上げたのは婦人会に所属する女性たちでした。声を上げた女性の中には、ご家族が公害に関わる企業に勤めているという方もおられたはずです。そのような状況の中で、夫や子どもの健康を考えた女性たちの勇気ある運動が徐々に大きくなりました。それに促されるように、企業や行政といった関係者が「その通りだ」と動いていったという、理想形の公害克服運動が成功した歴史があります。北九州の歴史の中で、女性が先頭を切って丸く世の中を引っ張り、見事な成果を挙げたというエピソードは、北九州市の最大の誇りとすべきだと自分は思っていますし、共感する方も多いのではないでしょうか(※注1)。

こうした伝統がESDの市民運動の中でも息づいていたと自分は思います。ESDの普及について、先頭を切るリーダーの中には80歳代、90歳代の女性たちがいました。1960年代に発生した公害のことを、その克服に向けて奔走した婦人会の活動を知っている方々が、現役でESDの先頭に立っていたということも大きいと思います。これをきっかけにして、SDGsも早く馴染みのある言葉になればと思います。

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(※注1)公害と北九州市:北九州市では、重化学工業による繁栄の代償として1960年代には公害問題が深刻化した。これを受け、子どもの健康被害を懸念した女性が立ち上がり、婦人会で独自の環境汚染調査を行い、研究発表会を開催するなどの運動が広がった。その後、企業や行政、そして市民が一体となった活動が実を結び、1960年代に「ばい煙の街」と呼ばれていた北九州市が、1985年にOECDから「灰色の街から緑色の街へ」と紹介、また1987年には環境庁(当時)から「星空の街」と認定されるまでに回復するなど、その公害克服に対する取組は国内外で知られている。詳細は北九州市ウェブサイト(http://www.city.kitakyushu.lg.jp/kankyou/file_0269.html

❝SDGs未来都市は、北九州市にとって「新しい競技」ではない❞

北九州市は既に環境モデル都市、及び環境未来都市(※注2)として有名でしたが、後継のSDGs未来都市にも参加した経緯について教えてください。

北橋さん:環境モデル都市から続く流れは、約10年前に福田康夫内閣が洞爺湖サミットにおいて地球環境問題でイニシアティブを発揮すると打ち出したことに端を発します。当時、日本政府は、環境問題が地域社会に根差しているので、地方自治体を中心に目標を立てて成果を出し、その優良なモデルを内外に発信し、全体を引き上げていく環境モデル都市というスキームを考えました。そこで手を挙げたのが北九州市です。まるで北九州市のためにあるかのようだと感じましたが、低炭素社会の実現という課題に直面しました。低炭素社会の実現に向けて、いわゆる先進国と開発途上国の間で激しい対立があります。開発途上国側は、先進国がもたらした課題なのだから先進国が解決すべきだと主張する訳です。それはなぜかというと、二酸化炭素排出量を規制されると石油や石炭の使用が制限されて経済の成長がままならない訳で、当然豊かになりたい開発途上国からは猛烈な反対がありました。

環境問題は、時代によって関心事が微妙に変化しますが、福田康夫内閣の当時は地球環境、低炭素の問題に日本政府が本格的に取り組もうという機運がありました。その担い手である地方自治体の自主的、独創的な行動が期待されていたと思います。その時、我々は環境問題が北九州市の得意分野だと思っていたけれども、低炭素というと鉄鋼・石炭の使用が課題になる訳です。公害の克服に続いて、地球環境のために我々も取り組んで行こうという合意を作っていきました。

しかし、低炭素社会の実現だけではなく、少子高齢化という社会的な課題もあり、経済不況という課題もある。つまり経済的な価値と、社会的な価値をともに解決していく姿勢が必要だと政府は考えた、その象徴が環境未来都市です。そこでまた北九州市は手を挙げました。非常に厳しい審査がありましたが、幸いにも北九州のプログラムを認めて頂いて、今日に至ります。そして3年前にSDGsが採択され、内容を確認したら半分以上自分たちがやってきたことじゃないかと感じました。それなら、SDGs未来都市にも参加して頑張っていかねばと考えました。こうした流れでしたので、北九州市にとってSDGs未来都市への参加というのは、なにも新しい競技に出たのではないのです。あくまで自然な展開で参加に至りました。

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(※注2)環境モデル都市・環境未来都市・SDGs未来都市:日本が目指すべき低炭素社会の姿を具体的に示すため、内閣府が2008年に先駆的な取組を行う6都市を環境モデル都市に選定。その後、環境未来都市を経て2018年には29都市がSDGs未来都市として選定されている。北九州市は環境モデル都市、環境未来都市、SDGs未来都市のすべてに選定されている。


❝困っている人見ると放っておけない、それが北九州市民❞

環境未来都市からSDGs未来都市に移行する際に、最も大きな違いや課題は何でしたか?

北橋さん:北九州が誇れるもうひとつのエピソードとして、公害克服の際に蓄えたノウハウや人材を開発途上国に提供してきたことが挙げられます。北九州市民の非常に良いところで、困っている人がいたら傘を差しだそうという気持ちがある。2011年に発生した東日本大震災で、東北の廃棄物も引き受けました。このように、困っている人を放っておけない気質が北九州人の一番良いところだと私は思いますが、環境技術の移転という国際貢献を一生懸命やって来ました。この取組について、どこの都市にも負けないくらい大きな成果を挙げているという意識を北九州市全体が持っています。こうした取組を含めてSDGsの17ある目標のうち3分の2近くは、これまで北九州市が取り組んできた目標であり、ついに国連で大事な目標だという認識が共有されたのだと嬉しく思います。一方で、そのほかの目標にも率先して取り組んで行かなければと感じています。「貧困を無くそう(目標1)」について、遠い開発途上国の話であると考えがちですが、国内にもまだまだ課題があります。貧困の連鎖という教育における格差という問題が、数年前から国会でも議論されています。それから「ジェンダー平等を実現しよう(目標5)」については、北九州市の審議会の女性委員の割合は、かつて3割ほどでした。しかし、現在は53%です。その過程において困難もありましたが、男女共同参画が必要であるという認識が広まり、3割が4割になり、ついに53%に至りました。このように環境問題以外のテーマについて、実は我々も一生懸命やってきているということで、SDGsの話を益々身近に感じるようになってきました。今回のHLPFでも「地方にSDGs推進のヒントがある」ということと、「女性が存在感をどんどん出していくべきだ」という意見を耳にしましたが、同感です。女性が働く時代になっても、日本の女性は高齢者や子どもの世話、毎日の生活を大事なテーマとして見ています。それだけに男性よりも女性の方がよく社会を見ているんじゃないかと思います。SDGs の17ある目標を考えると、男性よりも女性の方が、シャープな発信ができるテーマが多いように思います。


❝SDGsこそ若い人が引っ張っていくテーマ❞

ミレニアル世代の若者にどのようなことを期待されていますか?

北橋さん:人間は加齢とともに無意識のうちに保守的になる側面があるように感じています。そういう中で、若い世代は夢に溢れているし、社会が過去から引きずっている慣習や因習に流されるのではなく、夢を持って前に進んでもらいたいと思います。歴史を振り返っても、いつの時代でも若い世代の人たちが夢を語る中から、ひとつの実践が生まれています。SDGsも2030年にあるべき姿という理想を掲げているのですから、ミレニアル世代の若い人たちは夢を語り、理想について自分の意見を示し、チャレンジしていくことが必要だと思います。そういったことからも、SDGsこそ若い人が引っ張っていくテーマではないかと思います。


「若者と連携してSDGsを進めて行こう」というお考えはございますか?

北橋さん;女性の公害克服活動をよく知っている方々が、これまで十数年間ESDを支えてきてくださって、私は非常に感謝しています。加えて、国連大学より「持続可能な開発のための教育に関する地域の拠点(※注3)」というこ


とでESD推進の拠点となる地域に、北九州は認定されています。日本から認定された岡山や仙台広域圏を見ると、学生や研究者の皆さんが非常に大きな役割を果たしています。そこで、大先輩の女性たちの志を受け継いでいる婦人団体に加えて、学生に環境やESDというテーマの議論に入ってもらおうと考えました。そして、そのためには場所が必要だということで、大学のキャンパス内ではなく、小倉の商店街に「北九州まなびとESDステーション(※注4)」という場を創りました。これは、特定の大学に所属する学生であるという枠を超えて、北九州市にある10大学の学生がひとつのテーマに向かって議論したり、行動を起こしたりして欲しいと期待したからです。このように若者と連携してSDGsを進めて行きたいと考えています。

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(※注3)持続可能な開発のための教育に関する地域の拠点:英語名Regional Centre of Expertise on Education for Sustainable Development: RCE。地域において、ESDに関わりのある組織、団体等のネットワークを作り、関係者が 連携・協力してESDをより効果的に実践していくことを目的として、2005年に国連大学高等研究所が主導して開始された取組。具体的には、ESDに関する情報交換などを目的とした対話の場の提供や知見の蓄積等を行う。

(※注4)北九州まなびとESDステーション:北九州市内10大学の学生や年齢を問わず地域住民を対象として、ユニークな講座やセミナーを開催している。北九州市の歴史ある商店街である魚町銀天街に所在。詳細は施設ウェブサイト(https://manabito.kitakyu-u.ac.jp/facility)、北九州ESD協議会ウェブサイト(http://www.k-esd.jp/

❝玄関を開けて一歩外に出ると、そこにSDGsが待っている❞

基礎自治体だからこそSDGsを担える点や特徴は何かありますか?

北橋さん:先ほど国際貢献の文脈で触れましたが、上下水道の整備や廃棄物処理といった行政の役割は、住民にとって非常に身近なことです。これらは自治体にとって重要分野です。政府はガイドラインの策定といった機能を担っていますが、事業実施の部分は自治体が担っています。例えば、男女共同参画、ジェンダー平等について、政府は男性の育休取得率を上げようとか、女性の役職者を増やそうといった方針を策定しますが、実施については自治体が背負うことになります。当然の成果を数値で測られる訳で、自治体はこうしたSDGsから逃れられないのです。つまり、自治体にとってSDGsのそれぞれのテーマとの向き合い方は非常に直接的で、玄関を開けて一歩外に出ると、そこにSDGsが待っている、そんな印象を受けています。

もし18番のゴールを作って良いということならば、市長は「文化だ」と仰っているというお話を耳にしましたが、それはなぜですか??

北橋さん:193の国連加盟国が合意をして、SDGsという重要なテーマを前に進めていくということは、人類の歴史にとって画期的な歩みだと思います。その時に、日本政府も含めてG7のような豊かな先進国と、まだ所得の低い開発途上国にある格差を埋めるという構図が世界の繁栄と安定につながると考えられがちです。しかし、現時点で開発途上国の所得は低いかもしれないが、そこには民族楽器や民族舞踊があって、洞窟には美しい壁画が残されている。こうした文化というのを尊重し合うことが重要ではないでしょうか。我々は、ゴーギャンがタヒチに行って、西洋文明が介入していないところに自然の美しさや太陽の輝きを見て欧州の人間に伝えたように、開発途上国から文化の面で学ぶところが多くあるのではないかと思います。このように、それぞれの国や地域が持つ美しいもの、良いものを互いに確かめ合うということは、SDGsを達成していく上でプラスになると思います。こうして、SDGsの18番目の目標に芸術が位置しても良いのではと思い、北九州市は「Art for SDGs」という目標を掲げた訳です。北九州市の小倉駅の前にはアニメ作品の登場人物の銅像も展示されており、北九州市は漫画の街としても有名です。諸外国では、クール・ジャパンの一環で漫画やアニメ作品が最も評価されていて、日本の文化が評価されるというのは嬉しいことです。


❝我々の世代の仕事は、若い世代にしっかりとバトンを託していくこと❞

最後に、SDGs達成に向けて取り組むミレニアル世代の若者に対してメッセージをお願いします。

北橋市長:ミレニアル世代の皆さんには、「難しいと思うけれども、こういう方向に世界が進んでいくと良いな」という未来に対する素朴な夢を持って頑張って頂きたいですし、私たちの世代の仕事は、若い世代にしっかりとバトンを託していくということだと思っています。

 

北橋 健治(Kenji Kitahashi) 北九州市長

Photo:UN

1953年3月生まれ。東京大学法学部卒業後、民社党勤務を経て、昭和61年7月に衆議院議員に初当選(当選6回)。大蔵政務次官、大蔵委員会筆頭理事、地方制度調査会委員、行政改革特別委員会筆頭理事などを歴任し、平成19年から現職(現在3期目)。座右の銘は「一日生涯」「釣月耕雲」。

 

2018年7月17日、国連本部(ニューヨーク)にて収録 聞き手:和田恵(日本) 編集:和田恵、清水瞳、高木超(日本) ウェブ掲載:和田恵(日本)

取材協力者:藤野純一さん(IGES)

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